春日市は「弥生時代の王都」だった!2000年前の奴国の遺跡がすごすぎる

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「春日市って、福岡市のベッドタウンでしょ?」

移住を考えている方の多くは、春日市にそんなイメージを持っています。便利で住みやすい街。それは正しい。

ねこのこ

でも、それだけじゃないんだ

実は春日市の地面の下には、今から約2,000年前の「王都」が眠っています。

教科書に必ず出てくる、あの金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」。江戸時代に福岡市の志賀島で発見されたあの国宝を、中国の皇帝から授かった国「奴国(なこく)」。春日市は「日本で世界史に初めて登場した国」の王都でした。

さくら

日本列島の国として、初めて世界の歴史に名前が刻まれたその国の王都が、春日市にあったのです

「え、本当に?」と思ったあなた、正解です。奴国は、日本列島の国の中で初めて世界の歴史に名前が記された国なのです。

あまがみ

春日市には「須玖岡本遺跡(すぐおかもといせき)」という国指定史跡があり、弥生時代の王墓・青銅器工房・甕棺墓群が、今も地面の下に

そして一部はそのままの状態で…残されています。しかも、見学は無料

この記事では、春日市の弥生時代遺跡について、中学生でもわかるようにやさしく解説します。移住先を探している方にとって、「歴史のある街に住む」ということが、毎日の暮らしをどれだけ豊かにしてくれるか。その答えが、ここにあります。

目次

そもそも「弥生時代」って何?まずここから

※写真はイメージです

話を進める前に、弥生時代を簡単におさらいしましょう。弥生時代とは、今から約2500年前〜約1700年前の時代のことです。

ねこのこ

縄文時代の次にあたります

縄文時代との大きなちがいは「お米づくり(水稲耕作)が始まったこと」と「金属(鉄や青銅)が使われるようになったこと」のふたつ。

お米をつくれるようになると、食べ物が安定して手に入るようになります。すると人口が増え、村がどんどん大きくなっていく。村と村がくっつくと「国」ができ、国と国が争うようになる…というわけで、弥生時代は日本列島に「たくさんの小さな国が生まれ、互いに争い合っていた時代」でもありました。

さくら

そしてその小さな国のひとつが、春日市にあった「奴国」です

理由その①:奴国は「世界の歴史に登場した最初の日本の国」

奴国がどれだけすごいか、まずは世界規模の話をします。

西暦57年、奴国の王は中国の皇帝(漢の光武帝)に使いを送りました。これに喜んだ光武帝は「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印を送り返し、奴国の王を正式に認めた。

あまがみ

このことが、古代中国の歴史書『後漢書』東夷伝に記されています

この金印がどこで見つかったか、覚えていますか?

そうです、江戸時代後期に福岡市の志賀島(しかのしま)で発見された、あの国宝の金印です。

ねこのこ

教科書で必ず登場するアレ

現在は福岡市博物館に展示されています。つまり「金印をもらった奴国」の王都が春日市にあった、ということ。「あの金印の国はここにあったんだ!」と思うだけで、春日市の街を歩く感覚ががらりと変わりませんか?

さらに時代が下った弥生時代の終わりごろ(約1800年前)、女王・卑弥呼(ひみこ)が治める邪馬台国が最も勢力を誇っていましたが、そのころでも奴国には2万戸を超える人々が住んでいたと、中国の歴史書『魏志』倭人伝に記されています。

あまがみ

2万戸というのは当時の日本ではかなりの大都市です

理由その②:春日市には弥生時代の遺跡が「密集」している

奴国の中心地だった春日市は、弥生時代の遺跡の密度が圧倒的です。

須玖遺跡群(すぐいせきぐん)と呼ばれる遺跡の集合体は、春日丘陵の北半部から低地にかけての南北約2km、東西約1kmの範囲に、60以上の遺跡(集落・墓地)がほとんど隙間なく広がっています。

あまがみ

弥生時代の初めごろは小規模な集落が点在する程度だったのに、中期になると一変して、春日丘陵北半部のほぼ全域に集落や墓地が広がっていったことが、発掘調査でわかっています

これほど遺跡が密集する理由のひとつは「場所の良さ」です。

奴国の時代、博多湾は大陸(中国や韓半島)へ向かう天然の良港でした。その博多湾に近い春日市は、中国や韓半島から最先端の技術や文化をいち早く取り入れられる「有利な立地」にあったのです。

地の利を活かして発展した奴国の王都…

さくら

それが今の春日市の地面の下に眠っている、ということです

理由その③:「奴国の王墓」が春日市で見つかっている

遺跡の話で最も興奮するのが、王様のお墓が実際に見つかっているという事実です。

あまがみ

1899年(明治32年)、春日市の須玖岡本遺跡で、農作業中に偶然発見されました

重さ4トン、長さ3.3m、幅1.8mという巨大な石の下に、大きな甕(かめ)を棺桶として使った「甕棺墓(かめかんぼ)」があったのです。

その中には:

  • 中国鏡(前漢鏡)30面前後
  • 青銅製の武器10本以上
  • ガラスの勾玉など豪華な副葬品

が納められていました。

特に注目すべきは中国鏡の中に「直径20cmを超える大型鏡が3面」含まれていたこと。こういった大型鏡は、中国本土では王侯クラスの墓にしか出土しないものです。

ねこのこ

つまりこの甕棺墓に眠っていた人物は、金印をもらうよりも数世代前の奴国王であり、中国の皇帝からも「王」として重視されていた人物だったと考えられている

現在、この王墓の発掘現場の状態を再現・整備したのが「春日市奴国の丘歴史公園」で、公園内では甕棺墓を発掘した状態のまま見学できるドームがあり、誰でも無料で入ることができます。

理由その④:日本最大の「青銅器工房」があった

遺跡のすごさは「お墓」だけではありません。

さくら

春日市の須玖岡本遺跡周辺では、弥生時代の最先端技術だった「青銅器の工場(工房跡)」が大量に見つかっています

日本最大規模と言われる青銅器工房は、約3,000平方メートルの範囲に広がっており(サッカーコートの約半分の広さ!)、ここで大量生産された「銅矛(どうほこ)」などは西日本各地から朝鮮半島南部にまで運ばれていたことがわかっています。

あまがみ

つまり春日市は、今でいう「工業団地」や「製造業の拠点」のような役割を弥生時代に担っていた、とも言えます

2016年には須玖岡本遺跡で、紀元前150年ごろ(弥生時代中期前半)の甕棺墓から「銅剣」と「青銅製把頭飾(はとうしょく)」(銅剣のグリップ部分に付ける飾り)が出土しました。把頭飾は福岡平野での初出土で、甕棺墓としても国内最大級の大きさ。身分の極めて高い人物が眠っていたことを示す大発見でした。

あまがみ

さらに、春日市には青銅器だけでなく「ガラス工房跡」も見つかっています

弥生時代にガラスを生産していたというのも、奴国の技術力の高さを物語っています。

実際に見に行ける!春日市の弥生時代スポット

「話はわかった。で、実際に何が見られるの?」という方のために、春日市の弥生時代スポットをまとめます。

春日市奴国の丘歴史公園

住所:福岡県春日市岡本3丁目〜6丁目
入場無料、常時見学可能。

1992年から1997年にかけて整備された歴史公園で、須玖岡本遺跡の一部を公園として公開しています。

見どころは2つのドームに保存・展示された甕棺墓群。1979〜1980年の発掘調査で確認された116基以上の甕棺墓が、実際に発掘した状態のまま見学できます。

ねこのこ

なかには王の墓のすぐ近くにある「王族墓」もあり、弥生時代の墓地がどんな構造をしていたのかが一目でわかるぞ

また、1899年に発見された奴国王墓の「上石」(重さ4トンの巨大な岩!)も公園内に展示されています。

春日市奴国の丘歴史資料館

住所:福岡県春日市岡本3-57 電話:092-501-1144

歴史公園に隣接する市立の資料館で、1998年に開館しました。入館無料というのがうれしいポイント。

館内には:

  • 考古資料展示室:弥生時代の青銅器、鉄器、鋳型など多数の遺物を展示
  • 民俗資料展示室:昭和初期の農家の生活をテーマにした展示
  • 特別展示室:企画展を随時開催

資料館ではレンタサイクルの貸し出しも行っており、周辺の遺跡や古墳を自転車で巡ることができます。

あまがみ

弥生時代の遺跡をめぐるサイクリングって、なかなか体験できないですよね

アクセス

  • JR鹿児島本線「南福岡駅」から徒歩約18分(約1.4km)
  • 西鉄天神大牟田線「大橋駅」から西鉄バスで「須玖」下車、徒歩14分(約1.1km)
  • 車の場合は九州自動車道「太宰府IC」から約4.8km

福岡市内からも気軽に来られる距離なので、週末のおでかけにもぴったりです。

弥生時代をもっとわかりやすく

※写真はイメージです

ここで、弥生時代と奴国についてもう少し詳しく、わかりやすく整理します。

弥生時代のタイムライン(春日市版)

時代出来事
約2500年前弥生時代が始まる。水稲耕作スタート
弥生時代中期(約2300〜2000年前)春日丘陵に集落が急増。奴国の形成が進む
紀元前150年ごろ須玖岡本遺跡に有力な人物が埋葬される(銅剣出土の甕棺墓)
紀元前後〜西暦57年奴国の王が中国・漢の光武帝から金印をもらう
西暦57年以降〜約1800年前奴国がさらに発展。青銅器・ガラスを大量生産し各地へ輸出
約1800年前女王・卑弥呼の邪馬台国が台頭。奴国も引き続き2万戸規模の大国として存在

甕棺墓(かめかんぼ)って何?

弥生時代に福岡平野を中心に広まった独特のお墓の形式です。大きな壺(甕)を2つ合わせて棺桶(ひつぎ)として使います。成人は大きな甕に体を入れ、子どもは小さめの甕を使う…

あまがみ

という具合に、年齢によってサイズが違いました

身分の高い人の甕棺墓は特別大きく、銅鏡や武器などの豪華な副葬品が一緒に埋められていました。春日市の奴国の丘歴史公園では、この甕棺墓が発掘された状態のまま見られるので、弥生人の「お葬式のしかた」をリアルに体感できます。

青銅器の生産ってどんなもの?

青銅器は銅とスズ(またはヒ素)を混ぜて作る金属製品。当時は銅矛・銅剣・銅鐸・銅鏡などが作られていました。

春日市の遺跡では「鋳型(いがた)」が大量に出土しています。鋳型とは、溶かした金属を流し込んで形を作る型のこと。これが見つかるということは「ここで青銅器を生産していた工場があった」という証拠です。

さくら

春日市で作られた青銅器が西日本各地や朝鮮半島まで届いていたというのは、奴国が単なる地方の小国ではなく、貿易と製造業で栄えた「経済大国」だったことを示しています

移住者目線で見る「春日市の歴史的な魅力」

私はこのブログで福岡への移住情報を発信していますが、春日市の遺跡の話をするとき、ちょっと気持ちが高ぶってしまいます。

なぜかというと、移住先を選ぶときって、どうしても「交通の便」「家賃相場」「スーパーの数」みたいな実用的な情報に目が向きがちだからです。もちろんそれは大事。でも、「その街がどんな歴史を持っているか」って、意外と住んでみたときの豊かさに影響するんですよね。

あまがみ

春日市に住むということは、毎日「2000年前の王都」だった場所の上を歩いているということ

通勤路にある公園が、実は弥生時代の国王のお墓の跡だったりする。週末に散歩するだけで、教科書に載っているような歴史と繋がれる。そういう「日常の中の歴史」が春日市にはあります。

しかも資料館は入館無料。歴史公園は常時無料で開放

あまがみ

物価の高い時代に、無料で2000年前の王都を体感できるって、ちょっとすごくないですか?

まとめ

春日市は、福岡市まで電車10分の便利なベッドタウンです。でもそれだけじゃない、ということを、この記事ではお伝えしてきました。

約2,000年前、この街には「奴国」という国の王都がありました。金印をもらった王の国。日本最大級の青銅器工房を持ち、西日本全体や朝鮮半島にまで影響力を持っていた、弥生時代の先進都市。その痕跡が、今も春日市の地面の下に眠り、一部は無料で見学できる形で残されています。

移住先を選ぶとき、人はどうしても「家賃」「交通の便」「スーパーの数」に目を向けます。それは大事なことです。でも、「その街がどんな歴史を持っているか」もまた、長く住むほどじわじわと効いてくる、暮らしの豊かさのひとつだと私は思っています。

通勤路にある公園が、実は弥生時代の王墓の跡だった。歩くだけで、教科書の世界とつながれる。そんな「日常の中の歴史」が、春日市にはあります。

この記事の最初に「春日市は弥生時代の王都だった」とお伝えしました。その根拠は:

  1. 奴国の中心地:日本列島で初めて世界の歴史に登場した国の王都
  2. 遺跡の密集度:60以上の弥生遺跡が1〜2kmの範囲に密集
  3. 王墓の発見:中国の王侯クラスの副葬品を持つ甕棺墓が出土
  4. 日本最大の青銅器工房:弥生時代の最先端産業の拠点だった
  5. 無料で見学できる:奴国の丘歴史公園・資料館が常時無料開放

春日市は今でこそ「福岡市のベッドタウン」というイメージが強い街ですが、2000年前は日本で最も先進的な技術と文化を誇っていた国の中心地でした。

移住先として春日市を検討している方は、ぜひ「奴国の丘歴史公園」と「奴国の丘歴史資料館」に足を運んでみてください。「ここに引っ越してよかった」と思える、特別な体験が待っています。


奴国の丘歴史資料館

  • 住所:福岡県春日市岡本3-57
  • 電話:092-501-1144
  • 入館:無料
  • アクセス:JR南福岡駅から徒歩約18分

春日市奴国の丘歴史公園

  • 住所:福岡県春日市岡本3丁目・5丁目・6丁目
  • 入場:無料・常時開放

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